DXが急速に進む中、IoTサービスやサブスクリプションモデルといった新しい顧客接点を開発していくためには、システム・データ構築と顧客体験開発の連携が重要となります。プロモーション領域においても「面白いアイディアはあるのに思い通りにカタチにならない」「確かな技術やシステムはあるのに、世の中に浸透しない」「試行錯誤に時間を費やしていたら、他社に先を越されてしまった」そんな声を多く聞くようになりました。マーケットイン/プロダクトアウトの二元論では解決できなくなった企業課題を解決するキーパーソンとして、今注目されている「テクニカルディレクター」とは一体どんな存在なのでしょうか。DX成功へのヒントをご紹介します。
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<前編>でご紹介するのは、ハイブリッドな専門性を持ち、チームの核となってDXを推進する「テクニカルディレクター」の役割について。クリエイティブとテクノロジーを有機的に結びつけながら前例のないアウトプットを生み出し続けてきたテクニカルディレクター集団BASSDRUMの清水幹太さん、鍛治屋敷圭昭さんと、博報堂プロダクツ デジタルプロモーション事業本部の永田創一郎さん、熊谷周太さんにお話を聞きました。
目次:
ー インフラとしてのデジタルが、世の中に新しい価値を実装する
ー DXが進む中で生まれた新たな課題は、成長に必要なプロセス
異なる職種間の翻訳をする、デジタルものづくりの技術監督
— そもそも「テクニカルディレクター」とは?
清水
テクニカルディレクターとは、クリエイティブとテクノロジーの間を行き来して「翻訳」をするデジタルものづくりの技術監督のことです。「習慣のクリエイティブのつくり方」でもお伝えしたように、広告のみならず、デジタルの開発の現場では、一般的に、プロデューサー、クリエイティブ、エンジニアなど異なる職種のプロフェッショナル同士が協力しあってプロジェクトを共に創りあげるわけですが、専門性や思考特性が異なるがゆえ、意見の食い違いやミスリードといった、コミュニケーションロスが生じることがよくあります。特に、世の中の変化が早い今のビジネス環境で、チームの意思疎通に壁があることは致命的な問題になりかねません。テクニカルディレクターは、多種多様なプロフェッショナル各々の意図や文脈をしっかり理解した上で、具現化していくという重要な役割を担っています。「翻訳」するというのは直訳するのとは違い、基本的な技術力に加え、高い創造力と応用力が求められる仕事です。
— 「テクニカルディレクター」が持つスキルセットは、どのようなものなのでしょうか?
清水
一言に技術と言っても幅広いので、フロントエンドからバックエンド、ソフトウェアからハードウェアまで、なるべく広範な知識を持っておくことが望ましいです。すべてを高度に使いこなすことは不可能ですが、様々な技術領域をかじって「ノリ」を理解しておくことは大事です。さらに、デザイン、映像、音楽といったクリエイティブの領域や、PR、プレゼン、プロデュース進行管理といったビジネスの領域など、テクノロジー以外の知識や経験も、多様なものづくりに対応する上で大事です。テクニカルディレクターというと、技術の方にばかり目が向きがちですが、DX推進の中核を担ってプロジェクトを前に進める上では、様々な領域の専門家と同じ言語で会話できることや、技術以外の知見をどこまで広げて応用できるかという点も重要になりますので、常に新しいものを吸収できるようにと勉強し続けています。
「インフラ」としてのデジタルが、世の中に新しい価値を実装する
— 新型コロナウイルス感染拡大によって、DXは10年進んだとも言われていますが、日々の業務の中でどのような変化を感じられていますか?
熊谷
デジタルシフトは重要だという認識はもう何年も前から、多くのクライアント課題として顕在化していたものです。例えば、店舗接客やインナーモチベーション向上など、一般的には対面式であることが大切だと思われてきた領域においても、その一部をオンライン化したいという相談はよく受けていました。正直、これまでデジタルはリアルの「補完要素」と捉えている人も多かったと思いますが、新型コロナウイルス感染拡大によって、リアルの顧客接点が使えなくなったために、リアルの「代替要素」となりました。しかし、やってみたら意外とできたという実感や、デジタルシフトによって時間と場所の制約がなくなり、裏側で数字が取れるようになるので効果測定もしやすいといった良い面もわかってきたことで、いよいよ本腰を入れて対応しなければいけない、問題の先送りでは済まされないという「覚悟」に変わったのだと思います。いつかこういう時代が来るとみんなわかっていたのに、それが突然やってきてしまったので、世の中全体が少し慌ててしまっている部分があると思います。
清水
変化という意味でいうと、これまでデジタルのものづくりは、世の中をもっと楽しくする、悪く言えば「不要不急の贅沢品」としての側面が強く、プロモーション領域においても、ここ数年ではソーシャルメディアでバズをつくるための施策ばかりが注目されていたと思います。しかし、いま求められているのは世の中をより良くするための仕組みづくりで、これまでの短期的な打ち上げ花火とは全く異なる根本的な技術開発と実装が必要になってきています。
— デジタルはリアルを補完したり強化するための「話題化」という役割から、社会を支える「インフラ」という役割に変わってきたことで、世の中に対する影響力や、クリエイティブの概念も変わってきているのでしょうか。
鍛治屋敷
そうですね。プロジェクションマッピングやARといった技術を話題化のために全面に押し出した施策は、よく見るようになりました。しかし、優れたテクノロジーというのは、わかりやすく驚きや感動を与えるものだけではなく、見る側、使う側が意識しなくても影響を受けるようなものも多くあります。ここ十数年、テクノロジーが徐々に人々の生活や社会の中に組み込まれてきたことで、広告プロモーションは「認識」を変えるものから、直接的に「行動」を変えうるものへと、時間をかけて進化してきました。そして、新型コロナウイルス感染拡大を機に、デジタル技術を使った広告プロモーションで培われてきたものは、本来の領域を超え、世の中に新しい価値を実装する手段として機能し始めています。「ユーティリティー」つまり生活者の役に立つかどうかという視点で技術と施策を円滑につなぐ役割が、あらゆる場所で求められているのだと感じています。
清水
「クリエイティブ」に求められるものも、明らかに変わりました。既存の「クリエイティブ」は、人を驚かせたり、トレンドをリードしたり、といった、派手でかっこいい存在でしたが、これからは、水道管をつなぐような、インフラとしてのデジタルものづくりに実直に取り組むことが、クリエイティブの最前線になっていくと考えています。
ゴールから逆算した「意味ある一歩目」をカタチにする
— 社会におけるデジタルの存在感が強まる中、テクニカルディレクターに求められる役割も、変わってきているのでしょうか。
清水
私が考える「テクニカルディレクターの提供価値」は、実はあまり変わっていません。もともと、遅かれ早かれデジタルがインフラとして人間生活の中で必要不可欠な時代が必ずやってくるということを確信していたので、そういった社会変化に対応するためにBASSDRUMを立ち上げた経緯があります。BASSDRUMには、社会基盤となるシステムサービスデザイン、耐久性の高いアプリ開発やIoTサービス開発など、様々な得意分野を持ったメンバーが所属しています。新型コロナウイルスの影響もあり、来るべき時が急速に来てしまった感はありますが、様々な技術領域を横断して、変わらずにより良いものをつくるための開発に取り組んでいます。
鍛治屋敷
緊急事態宣言の中で、三ヶ月後に効果の高い納品物を求められても、誰も確実な答えを持つことができなかったと思います。予測がつかない世の中になり、正確な見積もりが出せない仕事が増えています。今のように不確実要素が多くて変化のスピードが速い世の中では「ゴールまでの道のりを事前に完璧に描く」のではなく、「今よりも一歩前に進む方法を知っている」チームが生き残っていくことになるはずです。その小さな一歩がプロトタイプであり、アジャイル開発というプロセスの話でもあると思っています。成功確率を最大限まで高めるべく、資料づくりと会議を重ねてあらゆる可能性を探り、緻密なプランニングをしたにも関わらず、いざ実施してみると期待したほどの効果を得られなかったというのはよくある話です。そしてこういった、まずは事前に緻密なプランを組み上げることが当たり前になっている人たちからすると、プロトタイプの一歩というのは、驚きの小ささだと思います。しかし、その小さな一歩によって、エンドユーザーが喜んでいるか、使い勝手が悪くはないか、コンセプトが刺さっているかなど、資料や会議だけでは実感としてわからなかったことが、生の情報として目の前で得られるのです。ゴールからの逆算で、技術とビジネスとクリエイティブをつないだ第一歩目をカタチにすることができるという点が、テクニカルディレクターの専門性の活かしどころだと思っています。
— 世の中の不確実性や変化のスピードが上がったことによって、アジャイル開発の重要性が増しているとのことですが、実践するポイントを教えてください。
永田
DXというとなにか壮大なものをイメージされる方も多いと思います。近未来的な魅力溢れる構想を描いてしまって、何から始めればいいかわからなくなってしまったという悩みを聞くことも増えています。しかし、すべてのDXの一歩目は、誰でもわかる簡単なことだったり、意外と地味なことだったりします。大事なのは、その一歩目をどう踏み出すかというところにあります。例えば、営業活動のデジタル化も「話題のツール導入してみましょう」みたいな話は、ただの一歩でしかない。あるべき理想の姿から逆算したプロセスの中で、フィードバックを得ながら、着実に前進していけるようなスモールサクセスを重ねていくうちに、ようやくゴールが見えてくるものだと思います。この意味ある一歩目を踏み出すための、構想力と実現力がポイントです。
熊谷
机上の空論よりも、みんなで触ってみるということが大事ですよね。会議の盛り上がりも全然違うし、何より体験することで、一気に理解が深まるのだと思います。DXプロジェクトでは、非常に多くの人が関わるので、一歩一歩進むごとに迷う機会も増えてしまいがちですが、私は、UXの根幹にひとつブレない軸を持つということをこれまで以上に意識しています。これは、われわれが従来クリエイティブでやってきたコンセプト開発の知見が活かされていると思います。壁にぶち当たってもここを信じて進むべきというポイントをチームで共有しておくことが大切です。
DXが進む中で生まれる新たな課題は、成長に必要なプロセス
— 日本においても急速にDXが進む中で、新たに生まれた課題や問題はありますか?
鍛治屋敷
「デジタル人材不足」は様々なところで語られてきている通りで、中でも企業内でテクニカルディレクターに当たる役割の人材がいないために、プロジェクトがつまずいてしまうケースが非常に増えています。まさに今進めているDXのアジャイルプロジェクトで、クライアント担当者の人事異動があり、新任の方に引き継がれた途端に、様々な部署から「そんな進め方で大丈夫?」という指摘を受けたり、一度整理したはずのアジャイル的な仕事の進め方やプロセスについて、またゼロから説明し直すことになり、2ヶ月くらいロスしてしまうなんてことが起こっています。
永田
日本のビジネスでは、成果物にのみ対価が支払われる傾向が強く、プロセスにも価値を持たせる(=対価が発生する)ことへの理解は、まだまだ低いと思います。いかに成果物に至るまでのプロセスに価値を感じてもらえるかが、これからの課題ですね。
熊谷
良くも悪くも、いろいろなものがガラリと変わりうるので、今までやってきた方法では通用しないし、成功体験を捨てなければならない局面も出てきます。企業全体が新しい文化に向かおうとする中での新陳代謝に時間がかかっているということですよね。急激な変化に対応しながら大きくなろうとしている成長痛のようなもので、ある意味、必要なプロセスなのではないでしょうか。
— 五年後の社会でテクニカルディレクターはどんな風に活躍されていると思われますか?
清水
五年後にどうなっているかは、なかなか難しいところですが、しっかりと地に足をつけて実質的なものづくりを真面目にやっていくことが何よりも価値を持つ時代になっていくと思います。声の大きさではごまかしがきかない時代です。質実剛健なつくり手が満たされる仕事創りや人材育成というところが、今後、自分のミッションでもあり、そのような社会になっていくといいなと思っています。
— 本日は貴重なお話を、ありがとうございました。本日お話を聞かせていただいたみなさんは、未来のテクニカルデイレクターを育てるための活動にも力を入れています。2020年8月にデジタルハリウッド大学にて、ワークショップを通じたサービス開発について学生に伝える企業セミナーを開催しました。講義の様子については後日レポート公開予定となっていますので、お楽しみに!
今後、ますます活躍の場が広がるテクニカルディレクターですが、単独で全ての課題を解決できるわけではありません。<後編>では、DX推進におけるボトルネックを解消し、プロジェクトを成功へと導くためのチームについてご紹介します。
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